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東埼玉総合病院 地域活動の推進

行政や地域住民とともに進める、地域住民が主体の地域包括ケアシステム「幸手モデル」。国内外から注目を集めるこのシステムを築く上で、中心的な役割を担うのが、東埼玉総合病院の中野智紀医師です。病院のバックアップを受けて、当初から積極的に取り組んできた中野医師に、やりがいや、今後の医療に求められる医師の新たな役割について聞きました。

糖尿病の専門医である中野先生が地域包括ケアシステム「幸手モデル」の構築に携わるきっかけは何だったのですか?

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中野 糖尿病の治療には、患者さんの生活環境を知ることが必要不可欠です。その方がどのような人生を送り、どのような価値観を持って生活しているのかを知った上で、どこにあるかわからないゴールに向かって一緒に取り組んでいく。このこと自体がいわば糖尿病の治療なのです。そこで、2012年に病院が現在の地に新築移転したことを機に、厚生労働省のモデル事業「在宅医療連携拠点事業」に応募し、行政や自治会と協働して、病院に隣接する幸手団地の全戸調査を実施しました。その結果、互助の担い手が地域にいることがわかったのです。さらに2015年には北飾北部医師会からの要請で、院内に在宅医療連携拠点「菜のはな」を開設しました。「地域まるごと相談」と銘打ち、病院や診療所、介護事業所、住民からの相談を受けつけ、適切な窓口に紹介しています。

―「菜のはな」の活動が国内外から注目されるのはなぜでしょうか?

中野 一つは、主体はあくまで住民で、病院は住民たちとのパイプづくり役として支えてきたことが挙げられるでしょう。地域包括ケアは、単に医療や介護の専門家につなげばいいという話ではありません。どのような状況でも、その方の生活問題にともに立ち向かう伴走者が必要です。幸手モデルは一緒に悩み、考え、向き合いながら、個人に伴走するケアシステムであるという特長、これまでにない支援に注目が集まっているのだと思います。具体的には、地域のコミュニティカフェなどの飲食店、工務店、お寺、ビジネスホテル、自宅を開放したサロンなど、住民の居場所づくりに携わる住民を「コミュニティデザイナー」と位置づけ、彼らが情報交換できる「みんなのカンファ」を開催しています。また、当院の看護師らが40ヵ所以上の地域の拠点へと定期的に出向いて、健康相談などに対応する「暮らしの保健室」などを行っています。

―そのような発想が生まれた原点は?

中野 私は東日本大震災後に、石巻で在宅被災者の生活支援に携わりました。避難所にはたくさんの物資、情報が届く一方、在宅避難者には一切届かない実情を目の当たりにしました。その時に「生活に根付いた医療の在り方」を考え、一人の人間を生涯支えていくには、多職種とのパイプが必要だと学んだのです。それが幸手モデルの原点ですね。被災地での経験から、地域包括ケアシステムで一番足りていないのは、その方が置かれたつらい状況や立場をまず理解すること。それをわかった上でともに考え、模索し、振り返る伴走型支援だと気づきました。必要なのは制度や情報的支援ではなく、個人の暮らしを支援するためのケアシステムです。幸手モデルが画期的だといわれるのは、個人を中心として、住民や行政、専門職などあらゆる主体と資源を組み合わせた包括的な地域システムであるからでしょう。

―制度や情報だけ整えてもうまくいかないということでしょうか?

中野 はい。菜のはなではコミュニティナース(看護師)、コミュニティソーシャルワーカー(社会福祉士)、コミュニティワーカー(ケアマネジャー・介護福祉士)の3人1組で構成するコミュニティソーシャルケアワーカーズを組織しています。このチームと、孤立する住民をコミュニティーの中に招き入れようと活動している、地域のコミュニティデザイナーが協働し、新しいセーフティーネットワークを張り直す取り組みを行っています。ただ、うまくいき始めたのはごく最近で、この活動を始めて5年くらいはほとんど成果がありませんでした。地域に信頼してもらうまでには時間がかかります。近道はありません。変化に抵抗を示す人は必ずいますから、対話を大切に、制度を構築する過程を少しずつ丁寧にお見せしながら、根気強く続けてきました。

―先生は、この活動をするために東埼玉総合病院に入職されたのでしょうか?

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中野 いいえ、まったく(笑)。もともとは大学から1年間という期間限定の出向でしたので、このような活動に自分が携わるとは思ってもみませんでした。気がつけば、もう10年この病院でお世話になっています。病院長や理事長をはじめ、病院の皆さんがバックアップしてくれるからこそ、この活動に力を注ぐことができるのです。本当に感謝しています。最近は、日本だけでなく海外からも多くの方が視察に来られます。正直なところ、僕の中では、幸手モデルはまだ5%程度しかできあがっていない感覚です。乗り越えなければならない壁は、まだ数えきれないほどありますが、今後も楽しんでやりたいと思います。

―この活動を通じて得たことはありますか?

中野 一つは最近特に感じるのですが、糖尿病の治療を進めやすくなったことです。それが地域のためになるなら、医師としてこんなにうれしいことはありません。もう一つは、幸手モデルの構築を通じて、いろいろな人と出会ったこと。それによって、今まで気づかなかったことに気づけるようになりました。相手の少しの変化も見逃さず、「今日はいつもとお声が違いますね」などと配慮できるようになったのは、実はこの活動のおかげだと思います。

―先生のように活躍したい医師にアドバイスをお願いします。

中野 私のような活動をしている医師はまだまだ少数派だと思います。今までの医師のキャリアパスは、専門医、ジェネラリスト、管理職という主に3つの道でした。そこにもう一つ、ソーシャルな活動を通して、地域全体の医療の質や生活の質を上げていく“地域のヘルスケアインフラ提供者”という第4のキャリアパスを、私が示せたらいいなと思っています。私は医師になる前からそういうイメージを漠然と持っていて、今ようやく形が見えてきました。今後、医師過剰時代が来るといわれていますが、医師のライセンスがあれば、本当にいろいろなことができます。社会貢献の一つの形として、このような分野があることを知ってもらいたいですね。

―今後の目標を教えてください。

中野 今後は「自分の人生をどう生きるか」がテーマの時代になっていきます。自己実現のためにバリバリ働く人がいれば、日々目の前にあることを大切にして生きたいという人がいてもいい。将来、医療の目的がQOLの維持・向上になることは確実でしょう。「幸手モデル」はコミュニティーの再定義が一つの軸であり、これまで社会保障制度による支援では届かなかった複雑な生活問題を抱える人々へ、支援を届ける方法をともに模索する展開になると考えています。これからはそこに人も、お金も、情報も、国民的な関心も集まってくるので、この分野が果たす役割は大きいはず。これからも頑張りたいですね。

―最後に、この病院に興味をお持ちの医師にメッセージをお願いします。

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中野 個人と個人を支える環境に対して、社会がいかに支援をしていくのか。生活モデル的支援が求められる新しい時代に、医療はどういう役割を果たすのか。私自身は医療の形が変わることは、逆に可能性を広げ、新たな役割が見えてくるのではないかと期待しています。東埼玉総合病院にはそういう経験ができる環境があり、チャンスに恵まれています。興味のある方はぜひ仲間に加わってほしいですね。この地域の住民にとって、なくてはならない病院を一緒につくっていきましょう。

取材日:2018年11月

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